徳川家康公ゆかりの地 出世の街 浜松

ゆかりの地めぐり

牧之原市

2023.03.09

静岡県牧之原市をご紹介します。
牧之原市は、徳川家康公ゆかりの地です。

【石雲院】

1455(康正元)年、郷土の豪族・勝間田氏によって開創された曹洞宗の名刹です。勝間田氏の衰退後は今川氏に庇護を受けましたが、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、遠州地方をめぐる武田氏と徳川氏の争いが発生。1572(元亀3)年、兵火によって多くの堂宇・寺宝・記録等が焼失しました。しかし、地元や末寺の人々から支援を受けて復興し、江戸幕府の成立後は、家康公に認められ遠州第5位の153石を誇る大寺となりました。
富士山静岡空港が間近に迫りますが、境内は緑と静寂に包まれ、ゆったりとした雰囲気が流れています。1844(天保15)年建築の山門は、日光東照宮の陽明門を模したとされています。

【大鐘家】

大鐘家の建物は、遠州地方で最も古い古民家の一つです。主屋は約300年前、長屋門は約240年前の建築と推定され、国の重要文化財に指定されています。また、長屋門前には、幕府の老中で相良藩主でもあった田沼意次が整備したという田沼街道の一部が残っています。
大鐘家は、江戸時代から代々大磯村の庄屋をつとめた家柄で、先祖の「大鐘籐八郎貞綱(おおがねとうはちろうさだつな)」は、織田家中随一の猛将・柴田勝家の家臣として仕えたといわれています。
牧之原市の花でもあるあじさい(5月~7月)をはじめ、酔芙蓉(9月~10月)や吊るし雛(1月~5月)など、季節ごとに様々な景色を楽しむことができます。

【平田寺】

1283(弘安6)年に開創した遠州地方で最も古い禅寺(臨済宗)の一つです。開山の龍峯宏雲禅師は、室町幕府の初代将軍・足利尊氏の叔父といわれます。相良地域の有力寺院として、今川氏、武田氏、徳川氏など数々の武将から尊崇されました。
1758(宝暦8)年、田沼意次が相良藩主に就任すると、田沼家の御位牌を祀る香華寺として厚い庇護を受けました。現在の本堂(市指定文化財)は、1786(天明6)年に再建されたもので、田沼家専用の玄関を備えた風格ある建物です。
国宝「聖武天皇勅書」(非公開)や県指定文化財「平田寺宝塔」をはじめ、数々の貴重な歴史資料を所蔵しています。

【相良城 二の丸のマツ】

相良城の二の丸跡の土塁に生育したクロマツが、相良小学校の南端とグランドに10本あり、市の天然記念物に指定されています。
相良城は、1576(天正4)年、武田勝頼が高天神城の支城として築いたのが始まりとされます。その後、1584(天正12)年、家康公により相良御殿として改築され、鷹狩の拠点に使用されました。江戸中期に入ると、相良藩主の田沼意次によって本格的な築城が行われ、1768(明和5)年に工事が始まり、1780(安永9)年に完成しました。しかし、田沼意次が失脚すると、1788(天明8)年に幕府の命令で取り壊されました。マツの生えている土塁は、この頃のものと推定されています。

【仙台河岸】

田沼意次の居城・相良城に関する数少ない遺構の一つです。相良城築城の際、仙台藩主・伊達重村が石垣用材を寄進してつくられたことから、「仙台河岸」といわれています。相良城の外堀に位置し、城内と海を結ぶ船着場だったと考えられます。
相良城は、牧之原市相良を流れる萩間川河口の右岸にあった近世城郭で、東西500メートル、南北450メートルの広さがありました。1768(明和5)年に築城がはじまり、約12年の歳月をかけて1780(安永9)年に完成しました。しかし、田沼意次が失脚すると、1788(天明8)年に幕府の命令によってわずか8年で取り壊されました。そのため、日本一短命な城ともいわれています。

【般若寺】

田沼意次ゆかりの宝物「陣太鼓」と「相良城の杉戸」を所蔵する曹洞宗の寺院です。家康公が築いた相良御殿唯一の遺構「相良御殿の杉戸」も所蔵しています。

「陣太鼓」は、田沼意次が相良城を築城する際、江戸の御太鼓師に作らせた秘蔵の太鼓です。相良に海賊が襲来したとき、この太鼓を鳴らして撃退したと伝えられています。

「相良城の杉戸」は、相良城の本丸御殿を彩っていた襖戸の一部と考えられ、竹林に虎や牡丹に鳳凰などの画題が見事に描かれています。絵師は、10代将軍徳川家治の御用絵師・狩野典信といわれています。
「陣太鼓」、「相良城の杉戸」(相良御殿の杉戸含む)とも市の指定文化財である。

【浄心寺】

田沼家寄進の御曼荼羅(非公開)を寺宝とする日蓮宗の寺院です。1624(寛永元)年、京都伏見の元住人で、相良湊で廻船業を営んでいた西尾源兵衛が、先祖の菩提を弔うために浄心日清と称して開創しました。江戸後期には、田沼家の祈願所として雨乞祈祷などで厚く崇敬されました。
山門の龍の彫刻は、地元の画家・寺田洞仙による1789(寛政元)年の作で、市の文化財に指定されています。寺田洞仙は、江戸後期に活発になる遠州地方の画壇において、中期に活動した数少ない画家の一人で、狩野派の画風だが、その生涯や作品に謎が多いミステリアスな絵師です。

【大澤寺】

牧之原市を代表する寺院建築「大澤寺本堂」(市指定文化財)を有する浄土真宗の寺院です。1791(寛政3)年に完成した本堂は、優れた彫刻で名高く、田沼意次の居城・相良城の木材を再利用して建てられたといわれています。その痕跡は床下で見ることができます。

内陣の襖絵「牡丹孔雀図」は、江戸後期に活躍した遠州地方を代表する画家・丸尾月嶂の最高傑作で、市内では非常に珍しい画面に金箔を貼ったきらびやかな障壁画です。かつて、田沼家の城下町や南海路(江戸・大坂航路)の中継港として繁栄した相良の文化を、現在に伝える貴重な建物です。