徳川家康公ゆかりの地 出世の街 浜松

ゆかりの地めぐり

高崎市

2022.12.12

群馬県高崎市をご紹介します。
高崎市は、井伊直政公のゆかりの地です。

【箕輪城跡】
箕輪城は約500年前に長野業尚によって築城された名城です。長野氏が約70年間城主を務めた後、武田氏、織田氏、北条氏と拠点が移り変わっていった。北条氏の次に徳川氏の拠点となり、井伊直政が城主となりました。1598年に城を高崎に移すと決め、箕輪城は廃城となりました。箕輪城は何度も構造の造り変わりが行われ、現在の箕輪城跡は井伊直政在城当時の姿に最も近いと考えられています。また、「日本百名城」に選定されています。

【郭馬出西虎口門(箕輪城跡内)】
郭馬出西虎口門は、平成28年に復元された箕輪城跡内にある城門のことです。12万石の城主となった井伊直政の時代の櫓門で、箕輪城の城門の中でも最大規模のものであったと想定されています。幅5.73m、奥行3.48mと箕輪城を象徴する門であり、伝統的工法で復元されました。

【箕郷矢原宿カフェ】
かつて箕輪城の城下町として栄えた、矢原地区に建つ観光客向けの休憩所です。大正期に建てられた養蚕住宅を改修し、地元住民の憩いの場としても利用されています。箕輪城跡散策の際などに無料で利用することができ、地元ボランティアから観光情報を聞くこともできます。地元の和菓子の有償提供も行っています。年に1度開催され、武者行列などを実施する「箕輪城まつり」の写真展示なども行っています(不定期開催)。

【高崎城址】
高崎城は、徳川家康の命をうけた井伊直政によって1598年に箕輪城から移される形で築かれた城です。高崎城は、郭内だけでも5万坪を超える広大な城郭でした。現在は、三の丸外囲の土居と堀、乾櫓、東門のみが残っています。「高崎」という地名も井伊直政が命名したとされており、関ヶ原の戦いの後までの2年間城主となりました。